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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

小川雅代著『ポイズン・ママ』読書感想文

この本を知った経緯

著者の方の


こんなツイートがあり、それでこの本を知りました。
内容は、小川雅代さんの半生を、その毒母・小川真由美との関わりを中心に自伝的に書かれたものです。
読んでみたところ、殆ど全て共感できる内容でした。
正直、「自分の場合はここまで酷いことはなかったなあ」と思った部分はあったものの、それは程度の問題であって、本質的には同じですね。
DVにしろモラハラにしろセクハラにしろ、「あなたはまだましだから」とかいうのは、精神的な被害を被った方には禁句だと思います。そのダメージの影響は、本人にしか分からないものであり、他人と比較してよいものではありません。
どんなささいな一言でも、心に刺さって一生抜けないことだってあるし、毒親の場合、洗脳のように繰り返し繰り返し同じ言葉を投げかけるのが常ですから、気付きにくい小さな毒が日々蓄積していて、大きな性格の歪み等となって現れていることもあります。そうして一生気付かずに毒を体内に残したまま生きてしまうこともあるわけで、それはそれで不幸なことです。
少し話を戻しますと、「程度の問題であって、本質的には同じ」と書きましたが、それはつまり、自己中心的で、我儘で、いつも自分が絶対に正しいと思っていて、好き嫌いが激しく、共依存体質というか、自我の境界線が曖昧で、親しい人間(特に子供)を自分の所有物と思っているから全てにおいて過干渉で、気に入らないことがあると怒り出して手がつけられなくなる。自分なりの愛情らしきものはあり、外面的には優しい人のようにも見えるのだが、それは相手の立場を無視した自己中心的な押しつけがましい愛情であり、「愛という名の毒」でしかない。
そして、相手が自分の思い通りにならないとなると、あの手この手で従わせようとする。その手段が洗脳的。飴の場合もあれば鞭の場合もあるし、泣き落としの場合もあれば、脅迫の場合もあるし、物理的暴力の場合もあれば、言葉の暴力の場合もある。可哀想な姿を晒して同情を引くこともあれば、第三者に「あの子ったらこんなに酷いのよ」とか告げ口するようなこともあるし、相手が尊敬しているような人物を通じて従わせたりもする。本当にありとあらゆる手段を使おうとする。しかも、自分が悪いことをしているという自覚はない。
単なる悪口を並べ立てているようにも思われるでしょうが、経験者なら恐らく全て共感して戴けるのではないかと思います。
一言で言えば、大人になりきれない大人、「アダルトチルドレン」でもあるし、「自己中!」という一言で片付けられそうなことでもあります。
さて、本の内容から幾つか抜粋してご紹介します。

毒母は加害者であり被害者でもある

幼いときの親からの影響はとても大きいものです。やった方は自覚がなくても、やられた方には決して消えない傷が残ります。
親や周りからの極度の無理解、DV、怪しい宗教、無気力、自殺未遂、パニック障害、鬱に苦しんだ私の経験が、いま同じように親子関係で苦しんでいる若い子たちの、何かしらの参考になって役に立つ事ができれば嬉しいと願っています。
(中略)
スーザン・フォワードというセラピストの著書を読んで、ごくまれではあるけれど、子供の苦しみと自分たちの責任について親が理解するようになる場合もある、という話に憧れた面もありました。母は私への加害者であるけれども、宗教の被害者とも言えるのです。
(「まえがき」より)

と。
この辺も完全に同意です。
幸福の科学」を含むカルト宗教二世信者の方々は、程度の差こそあれ、誰でも経験して共感できる内容だと思います。
ちなみに、ここで書かれている「ごくまれ」な例は、本当にごくまれなのでしょう。私も何度も期待して、直接話したりもしましたが、何度言っても、また何度態度で示しても、無理でしたので、もう諦めました。
……などと思いつつも、心のどこかでは期待してしまったりもしているかも知れません。親に対して複雑な思いを持つのも毒親持ちの特徴でしょうか。

ついつい似た人に近づいてしまうこと

そのうち、私が彼の家に転がり込み、一緒に暮らすようになった。彼は徐々に本性を現した。
「お前は頭が悪い。お前は女優の娘としてしか見られてないから、見方は俺しかいない」
と言い始めたところなんて、誰かにそっくりだ!
あまりにもある人を嫌うと、次も似たような人の所へ行ってしまうという心の働きがあるらしい。まさにそれだ。
(第四章「家を出る」より)

これも思い当たる節があります。同性・異性を問わず、無意識に、毒親と似たタイプの人間に惹かれ、それで同じように傷つくということがあるようです。
自分の親に似た人を求めるというのは、生物的な本能なのかも知れません。
或いは、「好き」と「嫌い」というのは、やはり、同じ感情の裏表の場合なのかなあとも思います。専門家ではないので間違っているかも知れませんが、「好きでも嫌いでも無い」というような状態にならなければ、この負のスパイラルから脱出することはできないではないか、と思います。

自立するのを恐れるようになること

この頃、私は自分でもよく分からない妙なクセがあった。それは、いい仕事が決まりそうになると、どうしようもない不安や恐怖に襲われ、事務所に電話して断るというやっかいなモノだった。まるで幸せになるのが怖いようだった。随分レベルの低い幸せでこうだから、かなり重症だ。
(第五章「モデル時代」より)

こういう文章を読み、改めて振り返ると、やはり、思い当たるところがあります。
私の言葉で言えば、全て毒母に依存するように洗脳して育てられたから、自立ができない(依存から逃れられない)ような「呪い」がかけられている、という感じでしょうか。
自分で決断したりすることを無意識に恐れたり、仮に自分で決断したとしても、無意識に失敗したりするようになります。この「洗脳」は、私も完全に解けたわけではないと自覚しています。

他の温かい家庭と一緒に過ごすことがリハビリになるということ

若い人たちにアドバイス出来るような身分ではないけれど、もし、多感な少年少女時代、大人に理不尽に虐げられて、心が押しつぶされそうになったら、外部の誰でもいいから、ホノボノした温かい家族を捕まえて、なるたけ一緒に過ごすことを勧めたい。
「心温まる想い出」の既成事実を沢山作ってしまうのだ。これが、それからどんなに最悪な事態になっても心を壊さないようにするコツだと思う。

これも思い当たるところがあります。仕事で、ちょうど一回り上ぐらいの先輩の方がいて、その方のご家庭に招かれて食事をしたり、初詣や買い物とかに連れていって貰ったりしたことが、すごく良かったです。当時はまだカルト信者だった私に対しても、特に差別することなく、温かく迎えてくれていました。
こういうのは、恐らく、無意識下の問題なので確実なことは言えませんが、このような経験も、カルト脱会の大きな要因の一つになったと思います。

関連書籍

関連書籍で紹介されていた岡田尊司さんの『母という病』という本(isbn:9784591137772)を探したのだけど見つからず、代わりに、たまたま本屋さんの書棚で見かけた精神科医の片山珠美さんという方の『他人を攻撃せずにはいられない人』(isbn:9784569816531というタイトルに惹かれ、買ってきました。まだ前書きしか読んでいませんが、前書きから一部抜粋すると、こんな感じでした。

DVや虐待は、あからさまな攻撃でわかりやすいが、むしろ多いのは、言葉で痛めつける攻撃である。たとえば、母親から「あなたを妊娠して、お母さんは仕事を辞めなければならなくなった。そのせいで収入がなくなり、お父さんと離婚できなくて、こんなに不幸になっている」と愚痴を聞かされ続けてきた結果、リストカットを繰り返すようになった高校生の女の子。あるいは、妻とけんかするたびに、「私は、もっと高学歴で高収入の男性と結婚できたはずなのに、妊娠させられたから、あなたと結婚する羽目になった。もとの体に返してちょうだい」と言われているうちに、帰宅しようとすると吐き気がするようになった40代の男性。
このような話から浮かび上がってくるのは、他人を攻撃せずにはいられない、攻撃欲の強い人の存在である。こういう人が一人いると、そのせいでさまざまな症状を示す被害者が周囲に生まれることがわかる。
この攻撃欲の根底に潜んでいるのは、たいてい、支配欲である。相手を自分の思い通りに支配したいとか、操作したいという欲望を抱いているのだが、こうした欲望を当の本人が意識しているとは限らない。相手を破壊するようなことをしておきながら、「仕事上必要なことだ」「あくまでも愛情からやっている」などと思い込んでいるような場合もあるので、厄介なこと、この上ない。
こういう人のターゲットにされると、くたくたに疲れ果てたり、ぼろぼろに壊されたりして大変な目に遭う。

全て同意ですね。言っている本人は軽い気持ちというか、感情に任せてストレス発散でやっているのでしょうが、聞かされる側は、非常に応えるものです。そのときは我慢できても、あとで大人になってから、色々な歪みとなって現れたりします。
まあ、また読み終えたらちゃんと感想を書こうと思います。