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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「幸福の科学」初期肯定派なんて論外です

2ch幸福の科学統合スレッドでは、最近、アンチ間での意見の対立が見られます。
大川隆法の霊言は本物だった」という初期肯定派vs「大川隆法は初めからインチキだった」という初めからおかしかった派。
最近の私は既にスピリチュアル全般を否定する立場なので当然後者だし、それが一般人に最も近いものだと考えます。
初期肯定派の方は、もう少し、「幸福の科学」の世界から離れて見た方がいいです。スピリチュアルなことや霊的世界を信じるということそのものが、一般人の目から見たら、極めて異常な精神状態であるということを認識した方が良いです。
ましてや、霊界が違う次元にあるとか、生まれ変わりを信じるとか、そういうのを本気で信じちゃったりするのは、ハッキリ言って「中二病」の世界です。世の中の物笑いになっているだけですので、早く気づいて大人になりましょう。
中二病」というか、統合失調症の一歩手前でもあります。wikipediaには、こう書いてあります。

幻覚を体験する本人は外部から知覚情報が入ってくるように感じるため、実際に知覚を発生する人物や発生源が存在すると考えやすい。そのため、「悪魔が憑いた」、「狐がついた」、「神が話しかけてくる」、「宇宙人が交信してくる」、「電磁波が聴こえる」、「頭に脳波が入ってくる」などと妄想的に解釈する患者も多い。

これは統合失調症の典型的な症状です。神の声だの守護霊の声だの悪魔の声だの、そんなのは全部自分の心が生み出した主観的な妄想に過ぎません。
スピリチュアリズムを信じる人は、統合失調症患者またはその予備軍、或いは、統合失調症患者の妄想を信じる阿呆、ということになります。これが「常識」の側の見解です。
勿論、統合失調症患者を全否定するわけではないし、その人となりが悪い等と言うわけではありませんが(寧ろ「いい人」が多いでしょう)、分かったのでそれは精神病棟の中でやって下さいという話です。精神病棟から出てきて人を巻き込んであちこちで正常な人を惑わせ、苦しめる問題になるわけです。

マインド・コントロールの段階説の続き

およそ半年前の記事ですが、「脱『霊性進化論』の段階」で止まっていました。その後、楽山日記さんの紹介で、リチャード・ドーキンス著『神は妄想である』を読み、完全にアンチ・スピリチュアル、無神論唯物論になりました。
思えば、「幸福の科学」の正義は、当初から一貫して強烈に否定してきたのが唯物論無神論共産主義でした。「幸福の科学」元信者でも、そこは否定できない人が多いようです。私も半年前までは無神論唯物論に対する拒絶反応がありました。それが恐らく最後のマインド・コントロールではないかと思うし、そこが「幸福の科学」の最大の問題点でもあると思います。
このことがクリアされない限り、一生、「幸福の科学」の呪縛から逃れることはできないでしょう。無神論唯物論に対する拒絶反応、これがあるうちは、まだその人はマインドコントロール下にあります。また別のカルトに引っかかったり、自分でカルト的な宗教を興したりして、世の中に迷惑を掛け続ける人になります。

「日本テーラワーダ仏教協会」の例

ただ、「幸福の科学」以外でも、宗教界の中にはそんな人が少なくないようです。例えば、「幸福の科学」に批判的な方であっても、こういう意見を言っています。

279 :神も仏も名無しさん:2014/01/21(火) 14:09:42.37 id:MPiQ4nog
伊勢神宮は取り組む姿勢がまともなだけで、内容が似ているかというと全然似ていませんよ。

無宗教の立場から一歩も外に出ずに、宗教はすべて無価値な迷信であるという態度で、中身の精査もせずに斬り捨てる。

その態度がすでに(無宗教という)信仰に凝り固まった信者の態度。その点において、何も変わらない。

289 :神も仏も名無しさん:2014/01/21(火) 16:13:32.52 id:MPiQ4nog
言論の内容が唯物論無宗教であるならば、その内容は唯物論無宗教なのであって、宗教をやってる人が組織内にいるからといって書いた言論の内容が唯物論無宗教が、宗教への寛容と理解に変わるわけではないのです。

この人は、佐藤哲朗氏を批判したカルト新聞の藤倉氏の「態度」を批判しています。
決めつけや独断が多い点もありますが*1、それはさておき、上掲書き込みから、この人(恐らく佐藤氏の支持者)の、唯物論無宗教に対する拒絶感が物凄いのが分かります。
藤倉さんが「カルト的発想」(カルト的発想でカルトを批判してもしょうがないだろ: やや日刊カルト新聞主筆ブログ)と指摘されたことを、そのまま体現するかのような書き込みになっています。
同じスレッドからですが、こういう意見もありました。

292 :神も仏も名無しさん:2014/01/22(水) 04:45:48.65 ID:1r9/hmdg
俺は佐藤哲朗やこの協会に賛同する輩が仏教に賛同しているなんて一度も思ったことはない。感情の表出の捌け口として仏教を利用しているとだけとしか見ていない。

新宗教に過ぎないスリランカ仏教はシンハラ人の民族的自意識を鼓舞する為の道具だったという過程からして、そうなるのは必然のだ。

幸福の科学スマナサーラのように互いの権益確保の為に信教の自由を踏みにじるような言論を垂れ流すセクト同士、潰しあってくれるのならそれほど宗教界全般にとって好ましいことはないと思う。

「信仰を持てば死の恐怖は軽減する」って?

また別件の余談になりますが、最近、このような記事を読みました。

こちらの見出しで、「信仰を持てば死の恐怖は軽減する」というものがありました。いやいや、それはないだろうと。見出しをつけたのは編集者なのでしょうが、森氏は、

でも信仰を持ったら、本当に死への恐怖が消えるのかといったら、心の底から信じない限り難しい。

と言っています。「死への恐怖」という点で言えば、信仰の有無は関係ありません。寧ろ、唯物論的な人生観を持っていた方が、死への恐怖は無くなります。
過去、何億年と続いてきた生物の生死や、今世界中で生きている何十億という人もいずれみな死ぬということを思えば、それに連なるだけのことであるので、何の恐怖があるでしょうか。人はいつか死ぬものであり、それは当たり前のことです。
(「痛いのは嫌だ」とかそういうのは別として)自分の意識が消滅することについて恐怖を覚えるのを「死への恐怖」と言うのだとしたら、「死への恐怖」というのは、信仰云々ではなく、強すぎる自我が問題なのではないでしょうか。
私は現時点で唯物論者であり無神論者であり、「信仰」などはこれっぽっちも無いわけですが、「死への恐怖」と言われても、全くピンと来ません。何が怖いんでしょうか。誰か教えて下さい。
「信仰を持てば死の恐怖は軽減する」というのは、少なくとも私の主観には反するものであり、何の証拠もない独断であり暴論だと思うし、仮にそれが正しいとしても、森氏が指摘しているように、

強烈な信仰は生と死を転換してしまう働きがあるので、ときには殺戮すら肯定してしまう。それは宗教の負の部分です。

という風な弊害の方が大きいのであり、それは一時的な快楽を得るために麻薬に手を出して人生を台無しにするようなもので、決して万人に推奨されるべきものではないと思います。
しかし、アンチカルトの側にも「どうしても信仰は必要だ」という風に持って行きたい人たちが多いのが困ったものです。
私は、健全な精神を持った人にとって、宗教やオカルトというのは不要なものだと考えます。宗教は置いておくとしても、オカルトは単純に間違いであり、有害であるので、万人にとって不要です。霊界などはどこにもないし、死後の世界もありません。グレイやレプタリアンというのも架空の存在です。神とか天使とか悪魔とか妖精とか精霊とか妖怪とか守護霊とか、そういうのも全部、想像上のものです。大宇宙を創造した非人格的な神の存在の有無は人智を超えているので分からないという他ないものの、そういった存在が語りかけてくることは絶対に無いし、人格的な神が実在するということも絶対にありません。
神の力を信じるぐらいなら、人の力を信じた方が良いです。

まとめ

つまり、「初期肯定派」なんて論外です。一般常識に照らして、よく考え直してみましょう。初めから相手にしなかった人の方が大多数であるということによくよく思いを致すべきです。
まあ、このような文章は、信者からは「悪魔」と思われるだけだろうし、アンチからも半分ぐらいからは反撥されそうだということも自覚しています。上から目線になってしまいますが、それぞれ段階があるのでしょうから、まあ、頑張って下さい。

追記

補足しておくと、やはり、人は少しずつしか変わらないものなので、信者に対して急に「『神は妄想である』を読め」などと言っても、強烈に拒絶反応を示されるだけでしょうし、やはり、段階的に導いていく必要があるかと思います。
そういう意味で、「初期肯定派」というのは、現役信者よりも一歩だけ先に進んでいる立場なので、現役信者の覚醒のためや教団崩壊のためには最も効果的ではないかとも思います。
なので、「論外」なんて言っている私が言うのもなんですが、もっと先に進んでいるアンチの方々は、「初期肯定派」の方々を全否定するのではなく、もう少し寛容な目で見てあげてもいいのではないかなとも思いました。
どの層をターゲットにするかで、言い方や表現は変わるんですよね。現役信者に対して言うべきことと、既に退会して日が経った方に言うべきことは、また異なりますし。

*1:藤倉氏は宗教に対して決して非寛容ではない。カルト新聞の記者にも宗教者が居たりするし、占い師や霊を信じる人とも一緒にイベントをやっていたりする