読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

カルトと依存

思うところがあって数日前にtwitterを辞めたのだけど、精神的には健全になった気がする。
根本的なこととして、他人の言葉が勝手に自分のタイムラインに流れて来る、というのがどうにも気持ち悪く感じられる。
この感じ方は人それぞれなのかも知れないが、自分の思考の中に他人の思考が入ってくるのが気持ち悪い。
他には、『ジョジョの奇妙な冒険』のスマホのゲームも最近思うところがあってやらなくなった。
パチンコにしろ、新興カルト宗教にしろ、MMOゲームにしろ、コンプガチャ等のシステムに代表される携帯ゲームにしろ、共通するのは、意思や精神が弱い人の欲望をある程度満たす一方、依存心を喚起させて、本人の本来の意思に反して異常なまでに時間とお金を毟り取る、ということだと思う。
そういうものだということを了解した上で、うまく付き合うことができる人がいるとすれば、それはそれで良いだろうが、私はそうすることができないので、一切を断つしかない。依存させる物、中毒症状を引き起こす物は、総じて付き合わないに越したことはないと思う。
別の表現をすると、「どちらが支配しているか」ということだと思う。例えば、「私がゲームで遊んでいる」というのなら良いが、「私がゲームに遊ばれている」という状態になったら、それは既に異常であり、病的な状態である。
「依存する」ということは、「自ら望んで支配される」ということである。長い歴史の中で、被支配者根性が身に染みついてしまっている日本人は多いようである。だから、どんなに酷い増税があっても進んで受け入れてしまうし、「親学」とか「親守歌」なんていう気持ち悪いものが持て囃されたりもする。
幸福の科学」にしろ統一教会にしろ創価学会にしろ、自ら進んで支配されたがる人間がいる限り、カルト宗教は決して無くならない。パチンコは無くならないし、課金ゲームも無くならない。需要があるから供給がある。
私は、何か自己の外に支配されてはならないと思う。それは「神」を含むし、突き詰めて考えると自分自身の欲望も含むことにもなるだろう。
兎に角、私は何物にも支配されたくないし、何物も支配したくない。
アンチカルト運動というのは、そういうものなのかなと思う。
脱依存、脱被支配者根性、脱カルト。私は全部同じことだと思う。