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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

『アナと雪の女王』を観てきたので感想文

レビュー

ディズニー映画なんて何年、十何年と観ていなかったのだが、周囲に「よかった!」という人が多く、昨日、床屋さんのご主人に熱心に勧められたので行ってきた。
そして、何故、自分がディズニー映画を観なくなったのかを理解した。
数年前、押井守の『立喰師列伝』が余りにも詰まらなすぎて人生初の途中退席をしたことがあったのだが、その時と同じ衝動に駆られた。
それでもぐっと堪えて途中退席しなかったのは、「みんなが良いと言っている部分は何なのか」ということを体験したかったからである。
本当は色々波立ちそうだから書くまいと思ったけど、同じようなことを思っている人も少なくないかも知れないので書くことにした。こういう意見もあるよということで参考にして貰えたらと。
以下ネタバレ&酷評につき、一応、閲覧注意。
まあ、ネタバレにならない程度に要点だけ述べると、中身はないのに映像と音楽で誤魔化して人を感動させて一時的な昂揚感や幸福感を与えるというのは、カルトの洗脳手法と変わらない。それほど弊害がなく、金銭的にも然程影響がないから許されているだけである。こういう作品が流行るということは、自ら望んで洗脳されることを喜ぶ人が多いということであろう。
まず、開始前のミッキーマウスの十分程度の作品。なんて暴力的なんだろう、と思った。ミニーマウスが暴力を振るう。そういえば、アメリカのアニメは暴力的なのばっかりなんだよな、と思い出した。本編でも最後でアナが男の顔にグーパンチを決めていたが、勧善懲悪で、「悪に対してはそれ相応の罰を与えてしかるべき」とか「目には目を歯には歯を」とかいうのがあちらの世界で受け入れられる価値観なのだなと思った。「右の頰を打たれたら左の頰を差し出せ」、「上着を取られたら下着を差し出せ」というキリストの教えは全く根付いていない。
もしこれが日本のアニメ作品であれば、仮にグーパンチをしたとしても、それに驚く人や窘める人を描くでろう。そういう多様な考えやリアクションはこの作品には全く無かった。

そして、本編を一見して、なんて気持ち悪い造形のキャラクターだろう、と思った。細い身体につり上がった大きな目。まるで宇宙人の「グレイ」だ。「グレイ」というのも米国人の潜在意識下にあるイメージだが、あれは何なのだろうか。美的センスが日本のアニメ等とは根本的に異なっているように思う。
そして突然大音量でかかる歌。歌がよかったという評判だが、私の心には全く響かなかった。特に女の歌は極めて不快であり、そこで途中退席したくなった。
それでも理解してみようと思って我慢して観ていて、床屋さんのご主人が、少し自嘲気味に「あれはやっぱり『魔法』なんですよね」と言っていた言葉を思い出したりしていた。それで、できるだけ浸ってみようと聴いていたら、王子とアナが二人で歌っているところで、その感覚は少し分かる瞬間はあった。
でも、それってやっぱりカルトの洗脳手法と同じなんでは?と思った。
『魔法』ということに乗っかって言えば、私には、カルトの関わりを通して、すっかり耐魔属性が身についてしまったので、こんなものには拒絶感しか覚えない。
設定や展開も強引過ぎた。「一人だけ魔法が使える」という設定も現実離れしているし、その理由も全く明かされなかった。話の展開も強引で、キャラクターの心理描写も全くなっていない。王子が実は悪い奴だったという伏線は全く無く、普通の人なら思い悩むであろう「殺すべきか、止めるべきか」などと懊悩するシーンも無い。「雪の女王」ことエルサの心理描写も雑すぎる。これでは、登場人物が殆ど全員がサイコパスである。そして表情がキモい。共感できる要素が極めて少ない。
まとめると、米国の文化はどうしようもなく劣悪なものだと思った。道徳的レベルが低いのは昔から分かっていたことだが、改めて、美的にも倫理的にもレベルが低すぎると思った。それを喜ぶ日本人共もどうかしている。でも、やはり、全ては「戦争に負けた」ということにより、こういう事態を招いているのだろうなあ。