読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

宗教も必要なんだなあと思ったこと

私は日頃滅多にスーツを着ることがないのだけど、最近、ふとスーツを着る機会があった。ポケットを探ると、信者時代のメモが出てきた。とても情熱的で、当時は本気で教団を盛り立てようとしてたんだなあと思った。
それから、ラーメン屋さんで食事をしていたら、隣に母子らしき人が座った。母親の方はどこかくたびれた感じがして、子供の方は、身長は小学校高学年ぐらいで、ニットの帽子を被り、とても痩せた感じだった。一見して、白血病か何かで抗癌剤治療をしてるんだろうな、ということが分かった。
その姿を見て、信者時代のことを思い出した。精舎に通ってきていた白血病の子供がいた。
いつも帽子を被り、痩せていたのは同じ。子供に似つかわしくなく大人びていたのも思い出した。
以前、このブログでも、末期医療から死後の世界の必要性を訴えていた矢作直樹先生という方を取り上げて、どちらかと言うと否定的なことを書いたが、そうなのだ。末期患者に対して救いになるものは、宗教以外にはないのではないか、と私も思う。
カルト宗教とは言っても、当時のあの親子には必要なものだったのだ。虚構の世界ではあっても、信じる仲間たちが必要だったのだ。それは無神論では取って代わることはできないもの。従来の宗教でも足りないもの。
人間は、弱い生き物なのだ。どれほど自立が大事だと言っても、何かに依存することなしに、一人では生きていけないという面も確かにある。
行きすぎた病的なオカルトや、そういう人の弱みにつけ込んで支配しようとする人間がいるのが問題なだけで、宗教そのものは否定されるべきものではない、ということを思うようになった。
適度で健全な依存はあった方が人間は健康に生きられるし、社会も円滑に回る。
「宗教は民衆のアヘンである」というのは、うまい表現だと思う。苦しい時には必要なものだけど、過度の摂取は害悪であるという。
私の変遷は、無信仰→カルト信者→脱会→アンチ幸福の科学→アンチカルト→アンチ宗教全般・無神論→宗教肯定、という感じかなあ。
カルト宗教と言っても、確かに人を救っている面もあるんですよね。だから存在が許されている。
時間がないのでメモ書き程度だけど、こんなことを考えていた。