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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

退会者から見た「幸福の科学」の良かったところ その2

「良かったところ」と言いながら、少し気になったことがあったので、悪かった所から先に書きます。

「転生輪廻」説を信じるとこうなるという悪い例

以前にもこんな記事を書いたけれども、最近、twitter上で出回っていたもので、また痛ましい例を目にしてしまいました。

前世とか輪廻説を信じていると、知らず知らずに平気で人を傷つける大人になってしまいます。
こういう事例を見ると、やはりオカルトを信じるのは良くないな、と改めて思います。
特定の宗教を信じていなくても、日本にはカルマとか輪廻とか、オカルトを信じてしまう大人が多いのには困ったものです。

真面目なところ

さて、「幸福の科学」の良かったところに戻ります。私が接した範囲では、職員も信者も皆真面目な人が多かったです。真剣に世の中を良くしようと考え、自分を捨てて他人のために尽くそうとする人が多かったです。
だから、阪神大震災の時は全国からボランティアが集まったし、「見返りを求めない愛」ということも説いて、その実践を目指しています。
教団に多額のお布施をするのは、「他の誰よりも総裁先生が最も良いお金の使い方を知っているのだから、教団に植福するのが最も世の中を良くすることに繫がるのである」という風に信じているからです。
みんなとてもいい人たちばかりです。ただし、「大川隆法に帰依している」という一点を除けば。
「いい人たちばかり」というのは、つまり、サイコパスの餌食になるタイプです。(被害に遭いやすい人々 | サイコパスとは何か?-私たちが知っておくべき善意を持たない人々-等参照)
気付かないうちに被害者になってしまっている。上記の例のように、おかしなオカルト教義を信じ込まされて、教祖の劣悪な人格の一部が乗り移ってしまっている。それがとても惜しくて可哀想です。私は何とかして「幸福の科学」信者の「いい人たち」を助けてあげたいです。本来の自分自身に立ち返って貰いたいです。他のアンチブログの人たちも、なぜ身バレの危険もありながらわざわざ個人の時間を割いて書いているかと言えば、信者の人を見捨てていないからです。自分だけが退会できて平和な生活を送れたらそれでいいとは思っていないからです。「幸福の科学」的に言うと、「愛」の気持ちです。退会しても、苦しんでいる人や迷っている人を救いたいという気持ちは残っているからです。
幸福の科学」信者の方に向けて書きますが、私は、この世の全てのものは、愛深き人になるための手段だと考えることもできる思っています。神を信じることも、転生輪廻を信じることも、大川隆法を信じることも、それによってより愛深い人になるために有効であるからそうするのであって、神を信じることによって他人を攻撃するようになったり、転生輪廻を信じることで不幸な人を差別するようになったり、大川隆法を信じることで偏狭になり特定の人を憎んだり悪魔呼ばわりして愛せなくなったりするのであるならば、それらは実は不要なものであり、捨て去るべきものなのではないか、と思うのです。
オカルト的教義を一切捨てても、人を愛することはできます。神を信じていなくても、他人に対して優しい気持ちを持つことはできます。「限りなく優しくあれ」という言葉は私も好きです。神を信じていようがいまいが、その言葉には共感できます。
その3に続きます。