読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

退会者から見た「幸福の科学」の良かったところ その3

今回も最近のニュースから前置きの話です。

大学講師全裸事件について

数日前、このニュースをテレビで見て、他人事じゃないな、という感じがしました。全裸になった講師の言い分を一部抜粋します。

当該講師は本学女子学生(21歳)と学内で出会い、話をしているうちに口論となり、「私に信じてほしいならば、ここで裸になってくれ」と要求されたということです。
当該講師は独身で半年ほど前よりこの学生と親も同意の上で生活をともにしていました。
この学生は日頃より情緒不安定な面があり、当該講師の言葉によると、感情が高まると突発的にどんな行動を取るか分からず、彼女の言う通りにしないと収まらないということを経験的に知っており、その言葉に従ってしまったということです。その際、衣服は学生が持ち去ってしまったので、当該講師はしばらくそのままの状態でおり、他の学生の目にするところとなりました。

55歳の講師が21歳の女子学生と「親も同意の上で」同居していたというのも気味の悪い話です。「日頃より情緒不安定な面があり」とか「感情が高まると突発的にどんな行動を取るか分からず」という辺りから察するに、この女子学生はボーダー(境界性パーソナリティ障害)に相違ないと私は思いました。ググってみると、やはり同じような感想を持っている方がいる模様。やはり、実際にボーダーに振り回された経験がある人にはピンと来るものがあるのでしょう。
これほどの年の差があってもこうなってしまうのが恐ろしい所です。相手がそのような精神的な病気だと分かっていても、可哀想だと思い、「自分なら治してあげられるかも知れない」とか「自分が支えてあげなければいけない」とか思ってしまうと、それは「共依存」と呼ばれる状態に陥り、共に負のスパイラルに落ち込んで今回のようになってしまいます。(上で引用した講師の言い分にもその様子が窺えます。)
よく、その手の本や辞書には「三十歳を過ぎるぐらいから自然に治る」みたいなことが書いてあったりします。でも、年齢を重ねるだけで自然に治るということはないと思います。人間関係や社会の中で衝突があり、自ら痛い思いをいっぱいして、経験から学ぶことで、徐々に治っていく。それを「自然に治る」と表現するのなら分かります。

隔離病棟としての「幸福の科学

さて、今回の「幸福の科学のよいところ」はこれです。皮肉たっぷりになってしまい、前回までの趣旨とは変わってしまったのは自分でも予定外です。すみません。
最近、よく考えるのです。カルトと言っても、それが社会に存在していることは、一定の役割を持っているのではないか、と。ヤクザにも似て、社会の中の必要悪として一定の役割を果たしている面もあるのだろう、と。そう考えると、「隔離病棟としての役割」という結論に行き着きます。
退会した今となっては、統合失調症境界性人格障害その他妄想や空想を抱きがちな人を集めて隔離し、自ら進んで「幸福の科学信者」というレッテルを貼って集団として管理してくれているというのは有難いことです。社会全体からすると隔離病棟としての役割を果たしています。
幸福の科学」の信者というのは、どの信者ブログを見てもそうだし、自分の親を見てもそうでしたが、全て精神的に未熟な人ばかりです。
その共通項を一言で言えば、所謂「アダルトチルドレン」というものが近いと思うし、「中二病」と呼べばもっと近いとも思います。
オカルトを信じ、現実を見ずに空想の世界を本物だと信じ込み、自分は選ばれし者だと思い、秘密結社を作って世界を変えようと本気で考えている。まさしく中二病です。
信者たちはそれで満足しているし、周りの人も笑って見ている。オウムのように人殺し等の犯罪をしたりするわけでもなく、平和な集団です。(少なくとも今のところは。)
一方、そういった精神的未熟さは、教団内に居る限り、増幅されることはあっても、治ることは一生ありません。普通の社会で揉まれていれば「年齢を重ねると自然に治る」と言われるようなレベルのものも一向に治らなくなる。それが一番可哀想な所です。

道徳的であるために神は必要か

リチャード・ドーキンス著『神は妄想である』という書籍の中で著者が言っていたことで印象に残っていることがあります。うろ覚えで申し訳ないのだけれど、「神や来世を信ずることが犯罪の抑止力になる、というようなことを信仰者は言うのであるが、じゃああなたがたは神がおらずに来世が存在しなければ犯罪を犯すのか。そのように不道徳な人間なのか?」というようなことが書かれてありました。
前半の宗教擁護の部分は教団内でも似たようなことを聞いたことがあるし、私もそれで納得していたので、このドーキンス氏の反論にはハッとさせられるものがありました。
平和で満たされた生活を送り、それなりの教育を受けてきた現代人にとって、道徳的であることは宗教を抜きにしても余裕でできることなのだと。
ドーキンス氏の言葉は恐らく皮肉であるのだけれど、現代日本の新興宗教の信者にとっては、もしかしたら、皮肉ではなくて本当のことなのかも知れない、とも思いました。
彼らは実は、神や来世を信じなければ平気で犯罪を犯してしまうようなサイコパス的な人格の持ち主であるから、その種のオカルトを信じることが必要なのではないか。「サイコパス」というのは言い過ぎとしても、その種の未熟な精神の持ち主には必要にとって、自らを律するために宗教が必要なのではないか。隔離病棟としての役割は充分に果たしているのではないだろうか。
半分冗談(皮肉)ですが、半分本気でそう思います。
私は個人的に脱カルトできたことは良かったと思っているけれど、それを現役信者全てに当て嵌められるものではないのかなあ、と思うようになりました。
それでも、脱会して普通の社会の中で普通の人生を送る道もあるということは示しておきたいのです。
特に二世信者には、選択肢を与えてあげたいです。

追記

どうして信者が精神的に病んだ人ばかりになるかというと、入信時の心境にも関係があるのだろうと私は思います。

こちらの公式の体験談集を見ていくと、病気であったり、イジメや子育ての悩み、仕事や受験の失敗、離婚や失恋、嫁姑問題等をきっかけに宗教に傾倒していく様子が窺えます。
つまり、心が病んだ状態で、引き寄せられるように「幸福の科学」に入信する、というパターンが殆どなのです。
本来なら心療内科等でカウンセリングを受けて適切な治療を受けて社会復帰すべきところを、カルト宗教のオカルト的教義を吹き込まれ、社会から遊離した空間に足を踏み入れることになる。その精神的な病は治るどころか余計に悪化してしまう。
どこのカルトでも同じなのでしょうが、入信することで一時的に良くなって治ったかのように見えるのは、教祖や教団に対して依存させることで主体性を奪うからです(FILE057:voicee(ボイシー) - 幸福の観測所等参照)。
実際に、教団内でも「主(=大川隆法)に全託しなさい」というような指導をよくされたのを覚えています。
教団無くしては生きていけないのがカルト信者であると言えると思います。