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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

どうも、久しぶりの更新になります。
仕事とプライベートを優先するようになり、アンチ活動は余りしてないですが、元気にやっています。
今日の虚構新聞vsカルト新聞は行く予定です。
信者時代の知り合いとかが今でも熱心に活動しているのを見ると「ああ……」となることがあります。
特に自分より若い人がやってるのを見ると、とても悲しくなります。
(具体的にはhttp://ameblo.jp/katuramoto82/entry-11966240897.htmlこの辺を読んでそう思い、ブログを更新したい気持ちになった。)
向こうは向こうで、「かつての仲間が信仰を失ったのを見るのはつらい」と思っているんでしょうね。
でも、私は変わっていないんですよ。世の中をより良くしたいという気持ちは以前と変わらないし、悪を押しとどめ善を推し進めたいという気持ちも変わらないし、自分に対しても自己中心主義はやめて相手の気持ちとか他の人の考えに耳を傾けるようにしようとか、そういうことも変わらないです。少し青臭くて恥ずかしい話ですが、信者時代、僕は人生の目標として「愛深い人になりたい」ということを言っていました。その気持ちも全く変わりません。
変わったのは、スピリチュアルとかオカルトとか、不確かなものを信じなくなった、という点だけです。
「転生輪廻」だとか「神」だとか、そういうものは不確かなもので、それらを前提にすることは、砂の上に城を築くようなものです。だから宗教では殊更に「信仰を深めなければならない」と言って、「信仰」を煽らなければならなくなります。アメとムチを使い分けるため、天国と地獄ということ(これも妄想)を説く必要が出てくる。
幸福の科学」信者は、「唯物論の方こそが砂上の楼閣である」と言っているけれど、実際には信者が「根本仏」だと信じ込んでいる「エル・カンターレ」の方が、大川隆法及び信者の心の中にしか存在しない砂上の楼閣です。(もしかしたら大川隆法も自分では口から出任せだと思っている可能性もあると私は考えています。)
何事も、相手と共通の下地が無ければ話は通じないものです。万人を救いたいと思うならば、万人に共通する真理を前提とする必要があります。
信者は「誰の心の奥底にもエル・カンターレがいる」と信じていますが、そんなことは大嘘です。思い込みであり、妄想に過ぎません。「幸福の科学」が発展しないどころか、世間から認められず、衰退の一途を辿っているというのがその証拠です。
また、輪廻転生などというのは、普通の感覚で普通に考えれば、あり得ないということは明らかなことです。
しかし、「幸福の科学」信者に限らず、それを本気で(もしくは薄々)信じている人が多いことにも驚きます。まあ、一般の人は「あったらいいな」ぐらいで、それほど深く考えていないのかも知れません。
退会したアンチの中にも多くて、「そんなのあるわけないじゃん!」と一喝したい気持ちになることもあります。いい加減、目を覚ましましょう。そんな幻想を信じても、世界を正しく把握することはできません。個人主義、自己中心主義がいけないのであって、唯物論そのものは間違いではありません。(唯物論共産主義でもありません。)寧ろ、正しく物事を考え、正しく生きるためには、唯物論を前提としなければダメです。「唯物論」という言葉が悪ければ、誰にも否定できないものを前提としなければなりません。主観を廃し、客観に徹することが大事であると思います。

追記「そんなことができるとは知らなかった」

この記事でも引用したのだけど、私にはこのリチャード・ドーキンスの言葉が大きかった。他の二世信者にとっても同様だと思う。新興宗教に限らず、伝統宗教でも、何かしらの信仰を持つ親の元に生まれた子供も同じだと思う。
「神が人間を作り出した」というのは根拠のないただの妄想であり、「人間が神という概念を作り出した」というのが正しい。
仮に、百歩譲って「神が存在するかどうかは分からないから、神がいないと断定的に述べるのは間違いである」という主張を認めるとしても、だからといって神が存在するということにもならないし、神の存在は不確定なことである。(輪廻転生や来世についても同様。)物事を考える上でそういう不確かなものを前提にはできないから、それらのものは存在しないものと変わらない。
人が人を愛するのにわざわざ「神」を持ち出す必要はない。勧善懲悪にも「神」を持ち出す必要はない。
オカルトの中でも、輪廻転生を信じることは最も弊害が大きいと思う。それは実体験として感じたことである。
輪廻転生を本気で信じていると、自分の一生というものを軽んじるようになる。どうせ何百回何千回と生まれているし、これからも生まれ変わるのだから、別にどうでもいいや、なるようになるさ、という気持ちになる。「幸福の科学」では、同時に「生まれる前に人生計画を立ててくる」とか「一人には必ず守護霊がついている」などと教えられ(今から思えば全部妄想でしかないが)、そのまま信じると運命論に陥りがちである。
または、「今世くらいは大川隆法に捧げてもいいではないか」という風に説得されて納得してしまう。そうして貴重な時間を消費し、気付いた時には青春は全て失われてしまっているのである。