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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

前回のエントリのブックマークコメントを読んで

普段の十倍ぐらいのアクセス数があって、慌てています(笑)。
NATROM氏の『「ニセ医学」に騙されないために』は購入して既読ですし、とても参考になりました。繰り返しになりますが、てっきりアンチカルト側の方かと思っていたら、第三文明に掲載されることをご自身でリツイートして宣伝されていて、私は非常に驚きました。
いつまで経っても誰も指摘しないので、敢て書いてみたというところでした。私の考えでは、創価学会はオウムと同じぐらいの危険なカルトなので、そんなカルト団体の機関誌にホイホイ出演するようなのは怪しからんのではないか、というのが動機でした。コメントは賛否ともに有難く読ませて戴きました。
創価学会を危険なカルト団体だと思っている人はそれほど多くないのだな、というのが印象です。
創価学会がカルトであるか否かというのは、それぞれ意見が分かれる所なのだろうと思いますが、ご参考までに、宗教学者浅見定雄先生が創価学会をカルト認定している文章をご紹介しておきます。

こちらです。

創価学会では本当に「南無妙法蓮華経で癌が治る」と教えているのか

コメント欄にこんな疑問があったので、改めて調べてみました。

こちらは「創価学会公式サイト」の「テーマ別御書要文集」の一部です。日蓮の言葉であり、「聖典」扱いのもののようです。ここに、

此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや

という一文があります。
それを、創価学会の「河合師範」という方は、以下のように「指導」されていたそうです。(以下は信者ブログからの引用です。)

3年前にある婦人が来た。「主人がガンであと3ケ月の命と言われた。治るでしようか?」と聞かれたので、
「わかりません。簡単に治るなんて言えません。
でもよく戸田先生が、“医者にかかって治るものは医者にかかれば早く治る。医者が見放したら、もうこっちのものだ。もう御本尊しかない、と決めたときから治り始めるんです。”
とおっしゃっていた。もう御本尊しかないということは、自分の力で治すしかないということ。
(中略)
ちょうど1年後に、ご主人と2人で来て、「病院へ行って“お父さん!もう無理だそうです。
無理だから祈りましょう。
だめだから祈りましよう”と祈ったら、治っちゃったんです。無理を承知で祈ると利きますね。」と言っていた。
それが信仰です。

云々と。以上のことから「創価学会で『南無妙法蓮華経で癌が治る』と指導している」と言って差し支えないですよね。
ググれば他にも出てくるようです。
以下は信者さんのブログからの体験談ですが、

まず、父は、親友の息子さんの足が骨肉腫にかかり、切断することになったので、
その親友から朝晩1遍の題目でいいから息子の左足に題目を送ってくれと言われました。
翌朝、南無妙法蓮華経とたった1回唱えたら、突然、バケツ一杯の血を吐き、
医者からは喉頭癌と診断され、放っておいたらあと半年の命だったことがわかりました。
母は「お父さん、あと半年だって。散々、私をいじめ、池田先生の悪口を言ってきたから、
しようがないよね。手術して声が出なくなっても、題目をあげようね」と言いました。
それから2年間、父は死ぬような苦しみを乗り越え、病院のベッドの上で毎日、
10時間の題目をあげて完治しました。

と、「題目」をあげることによって喉頭癌を完治したという話が書かれています。

おまけ:「幸福の科学」の場合

幸福の科学」では、祈願が充実しており、その名も「癌細胞消滅祈願」というものがあります。ググれば信者ブログ等で体験談は幾つも出てきますし、公式サイトでも、

妻は大腸ガンが転移し、肝臓ガン、肺ガン、リンパ腫も患っています。糖尿病の持病も重なり、苦しい状態が続いておりました。
(中略)
病院には家族が全員幸福の科学であることを伝え、お祈りや修法を行じさせていただく許可をもらっていましたので、入院の当初から行じていました。
「癌よ、消えよ。糖尿病よ、去れ。水よ、消えよ」と唱えていました。
(中略)
なんと麻酔をきってから約1.5日で意識が戻り、こちらの話かけにも正しく答えたのです。驚くほどの速さです。

とか、

幸福の科学で一緒に学んでいる友人がおります。
その友人のお兄さんが癌になり、しかも末期の状態でした。
友人は幸福の科学の精舎へお兄さんを連れていき、祈願をしました。
すると、祈願後の病院の検診では癌が見つからず、お医者さんも首をかしげていたというのです。
そのお兄さんも、今ではすっかり健康を取り戻しております。

このように、「祈願によって癌(病気)が治った」という体験談を掲載しています。
どちらも客観的証拠が一切無い、信ずるに値しないトンデモ医学(というより医学以前のオカルト話か)ですが、こういうことを信じさせることによって勧誘したり洗脳したりしている様子が窺えます。

私が問題視した点

コメントで誤解(もしくは曲解)されているなあと思ったのは、私は別に「創価学会信者に疑似科学の見分け方を教えてはいけない」などとはちっとも思っていないし、一言も書いていない筈です。私の言葉足らずだったのかも知れませんが、コメント欄まで含めて読んで戴ければ誤解しようがないとは思うのですが……。
改めて、私が言いたかったのは、こういうことです。
他の人のブログ記事で恐縮ですが、ちょうど

こちらのエントリのように、その教団の機関誌に名前を載せて原稿を掲載するということは、少なくともその教団を否定していないということであり、教団の側からすると「教団シンパの知識人」、つまり「広告塔」として利用されてしまっているということになります。
『第三文明』誌上で、いくら疑似科学や偽医学や江戸しぐさ等のオカルトを批判したとしても、一方で「南無妙法蓮華経を唱えれば病気が治る」などと教えているとしたら、前者は後者を隠すためのカモフラージュに過ぎないのであり、「知識人」たちは単に利用されているに過ぎないと思うのです。果たしてそれで信者は洗脳から解けるのでしょうか?やはり私には甚だ疑問です。

カルト宗教の被害というのは伝わりにくい

ということをつくづく思いました。もっと被害をハッキリと分かりやすく多くの人に伝えていかなければならないと思いました。
一般の方にしてみれば、創価学会にしろ統一教会にしろ「幸福の科学」にしろ、「カルトって言われてるけど、別にオウムみたいに大量殺人とか計画してるわけじゃないし、どうでもいいんじゃないの。イタコ芸面白いじゃんw」ぐらいにしか思っていないのかもしれません。
でも、実際には、信者の精神的苦痛や経済的被害等は甚大です。私自身の経験や見聞きしたところでは、入信することによって、人間関係は断たれ、若者は貴重な青春時代を奪われ、中年は家族や仕事を失い、お年寄りは老後の蓄えを奪われ、気付いて退会した時には失ったものが多すぎます。中には精神を病んでしまう人や自殺してしまう人もいました。どれほど辛いのかということは、経験者にしか分からないのかも知れません。
退会しても、世間の人は理解してくれず、「アンチカルトもカルトだ」などと心ない言葉を浴びせかけられたりもします。
こういう補足の文章というのは大抵読まれないものですが、もし縁があってここまでの文章を読んで下さった方がいるのでしたら、創価学会の被害や統一教会の被害、「幸福の科学」の被害等について、少し時間を割いて調べてみて頂けると有難いです。「幸福の科学」関連でしたら、今年の春に「幸福の科学大学」が文科省非認可のまま開学して、多くの信者師弟がそこに通わされる羽目になったりしています。「幸福の科学」信者の親が子供に信仰を押しつけた結果、最早その子供たちの人生は取り返しがつかないものになってしまっています。
元カルト信者の方、頑張りましょう。もちろん、まずは自分の人生の立て直しや、自分の生活の安定が一番大事ですが、余力ができたら、カルト撲滅に向けて、自分に出来ることを少しずつやっていきましょう。私もカルトの被害について、より多くの方に分かりやすく伝えられるようになりたいです。

追記

ブコメでツッコミが来ていたので、面倒ですが創価学会の事例を追加しておきます。

私の親友(非学会員)の奥さん(親がとても熱心な学会員、本人も学会員)が初期の癌にかかったのですが、実家のほうで入院するといって帰りました。
良くなったといって帰ってきたので親友は病院へ検査に行かせたそうです。
結果は、体中に癌が転移しており手の施しようがなかったそうです。
詳しく話を聞きだすと、奥さんは病院にはいかず、学会で言われているように、両親と一緒に必死で題目をあげ続けていたみたいです。
ほどなく、彼女は亡くなりました。(実話です。)

という例。
また、

法華経こそ一切の病の良薬であり、変毒為薬の妙なるものであるとおおせられているのである。謗法は毒であり、これを治しうる法は良薬である。業病の因たる謗法の毒を、法華経の力によって、良薬に変ずるのであるから、これすなわち、変毒為薬である。
(中略)
いま一例をひく。ここに、小児マヒの子どもを持った親があったとする。子どもは、御本尊を拝むことができぬ。しかし、親は御本尊を信じ行ずることができる。この親が、大信力を起こして大御本尊を拝み、折伏を行ずるならば、その子どもは治るのである。

云々と。親が拝んで折伏するとその子供の小児マヒが治るとか、さて、こんなのが現代医学と両立するんでしょうか。

追記その2

2世信者の事例。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/02(水) 11:03:40.67 id:nHFRvlO/
子供の時親を病気で亡くしたけれど、「法華経の行者の祈りがかなわざることなし」という指導、あれは問題あるなと今にして思う。
末期の末期で治療の望みがほとんど残されていないにもかかわらず、最後の最後まで「法華経の行者の祈りがかなわざることなし」という
指導に従い、体に無理をかける苦しい治療を続けて死んだ。
生きることに執着したおかげで、死にゆく親から残される家族へ、また、子供たちから親へのメッセージの伝達も何もなく、治療に体が持ちこたえられずに死んだ。
回復のための勤行唱題も毎日やっていたが、何の意味もないと確信したな。
当時子供だったので親に言われるまま祈るだけで終わってしまったが、祈って自己満足に浸っているよりも、他にやることはいくらでもある。

次も2世信者の述懐。

それにしても癌を克服っていう体験は学会員の間ではよく聞く体験なので、もう当たり前っていう感覚でした。あまり活動に熱心でない人はともかく、バリバリ活動してる人が癌になっても絶対に治せると信じてたんですよね。
だから、地元のバリバリの婦人部長が癌で亡くなった時は少なからずショックだったのです。いかなる病も治せるんじゃなかったのか・・・。
これは今考えれば当たり前の事なんですけど、子供のころからどんな病気も治せると信じていたので。

癌を克服する体験談は「当たり前」だったという証言。子供には「いかなる病も治せる」と教えているようです。
子供は純粋だから、教義でもなんでもまともに受け止めてしまうんですよね。

追記3

「アンチカルトというカルト」?

相変わらず「アンチカルトというカルト」などという訳の分からない批判が来たり、「カルトの定義って何よ」という疑問があったりしたので一言。
wikipediaによれば「反社会的行為を行う詐欺的暴力的な宗教団体等の集団」とありますが、だいたいそんなイメージです。狂信的な集団、信ずれば社会との軋轢を生じ、本人は不幸になり、周囲の人も不幸になる集団。カルトは「集団」です。
創価学会は、上記のように「入信すれば病気が治る」として勧誘したり、「誹謗すれば病気になる」として脅したり、退会しようとする者を集団で囲んで脅したりしていますし、各退会者の体験談等を読んでも色々ひどく、上掲浅見氏の文章もあり、カルトと言って差し支えないだろうと考えています。
「カルト」というのは集団に対する呼称ですから、アンチカルトと言っても私は個人でやっているので、カルトになりようがありません。反社会的行為は行っておりませんし、詐欺や暴力もしていません。誰かを個人崇拝しているわけでもなく、身も心もアンチカルトに捧げている、というわけでもありません。
最初に言ったように、誰も指摘しないから指摘したまでのことで、狂信的にやっているわけでもありません。(ただ、初見の人から見たら、そのように見えるかも知れないということは分かる。)この件は、誰かが問題提起しなければならなかったのではないでしょうか。少なくとも私はそう思ったので書いたということです。
カルト被害者の一人として、自分の所属していた教団だけでなく、広く社会に蔓延るカルトを撲滅したい、カルトの危険性を分かってもらいたい、と思うことは間違っているのでしょうか?それに、このブログは私の一部にしか過ぎませんし、個人を指して「アンチカルトはカルト!」などと言うのは頓珍漢な指摘だと思います。(「幸福の科学」信者からの批判でも「お前の方がカルトや!」という批判はよくありました。自称「才谷梅太郎」さんへ - 幸福の観測所これとか。)
そういう訳の分からない批判が飛んでくることこそ、カルト被害というのが世間でよく認知されていないという証拠だろうし、軽率にカルト関連出版社の取材に応じてしまうという行為につながっているのだなあと改めて思ったりもするわけですが。私はそこを大きな問題だと思ったけど、そんなに問題じゃないと考える人も多い。そこの考え方の違いが大きいのはよく分かりました。(だから、繰り返しになりますが、もっと分かりやすくカルトの危険性を訴えていかなければならないと思った。)

カルトとオカルト

日本語だと(英語でも)似てるので混同しがちですが、別物ですね。
アンチカルトの側の人たちでも、神父さんなどは神を信じながら被害者の救済活動をやっているし、「無神論だけど霊は信じる」などという方も居ました。私もこのブログを始めた当初はオカルト肯定派(スピリチュアル)でしたが、『神は妄想である』を読んで以降、完全に唯物論的立場に転向しました。ジョン・レノンの『イマジン』の良さが漸く分かりました。今は、伝統宗教も含めて宗教というものは押し並べて不要だと考えています。
思うに、カルトであれ伝統宗教であれ宗教にはオカルト的要素は付きものですが、そもそもオカルトに対して免疫があればカルトに引っかかることもなく、その他の疑似科学にも騙されることもないわけで、最近はオカルト批判の方に強い関心を持っていました。
だから、疑似科学批判はよく読んでいたし、とても参考になっていました。で、最初の動機に戻りますが、「なんでそんな人たちがなんでカルトの機関誌に?」と驚いたということです。

追記4

森達也氏について

前回のエントリのブックマークコメントを読んで - 幸福の観測所

”アンチカルト”カルトということですね、わかります。/カルトと断定することで、本質が見えなくなる、というのは最近の森達也の文書にもある。

2015/05/16 04:56
b.hatena.ne.jp
なるほど。
森達也氏について、私は直接作品を見たこと等は無いのですが、やや日刊カルト新聞のイベントで、オウム擁護の人として批判されていたのはよく覚えています。
こちらですね。

そして、映画「A」「A2」そして書籍「A3」の森達也被告に至っては集中砲火を浴びせ「取材もせず裁判記録も読まずに思い込みで書く」と森被告の執筆姿勢に関するトンでも素行が晒され「ハッキリ言ってとんでもない奴」と扱き下ろす。
(中略)
カルト3の面々は森被告について「権威付けが問題」「出鱈目な森達也に賞を与えるという権威付けはダメ」「他にも問題ある人がいっぱいいる」と切って捨てた。

森氏は脱カルト協会からも"森達也著「A3」の講談社ノンフィクション賞受賞への抗議"という形で批判されていますね。

「お前の方がアンチカルトというカルトだ」という人にこそ、カルトの定義を教えて戴きたいですが。

創価学会の病気治しの指導について

コメントを読んでいて思ったのは、「問題ではない」という意見を持っている人でも二種類いるのではないか、ということです。
南無妙法蓮華経で病気が治らないことは自明だから取り上げるまでもない」というような意見の人と、「南無妙法蓮華経で病気が治るかどうかは医学ではなく宗教の問題なのだからグレーゾーンでよい」というような意見の人。前者と後者では、結論は同じでも、立場としては微妙に違うのかなと思いました。
「他の(伝統)宗教でもやっていること」という擁護パターンは、「幸福の科学」信者と論争していた時にも頻繁に出てきました。しかし、他がやっているからと言うだけの理由で正しいことの証明にはならないです。
例えば、「病気になれば誰だって祈る。それは他の伝統宗教だって同じじゃないか」という。仮にそうだとしても、カルト宗教はそれにつけ込んでマインドコントロールしようとする点が違います。
創価学会の場合、「謗法すれば病気になる。信心すれば病気が治る」などと教えるし、「幸福の科学」の場合も、似たようなものです*1。全く客観性のない、妄想上だけで組み立てられたトンデモ医学です。
「現代医学を否定しない範囲での祈祷行為ならいいではないか」という意見はご尤もです。オカルト否定派の私でも、そこまで否定するつもりはありません。ただ、創価学会の場合は「業病」などと言って、教義の中に医学に浸食している部分があります(広布の旗-創価学会» ブログアーカイブ » 業病について等参照)。他の新興宗教も同様で、その辺はやはり問題があるのではないでしょうか。

*1:例えば、「『病は気から』である。悪しき心を持つと、想念帯が曇り、まずは霊体を蝕み、それが徐々に肉体に現れてくるのだ。根本治療のためには、霊体を治すことが大事であり、そのための祈願なのだ」などという風に教え、信者に高額の祈願を勧めたりする