幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

週刊新潮7月16日号の「反オカルト論」を読んで

株式会社みらい倒産の件

本題に入る前に、株式会社みらい倒産の記事も掲載されていたので、その話から。
嶋村氏や「幸福の科学」へのインタビューも一言だけ掲載されていました。

今回の倒産や教団との関係について尋ねると、
「何もないです」
 と、にべもない。一方、幸福の科学は、
「1988年に予言された『農作物工場の出現』は的中し、現在、この分野に数多くの大手企業が参入しております」(広報局)
 嶋村会長の失敗には触れず、あくまで予言的中と言い張るのであった。

と。
「何もないです」というのは、「コメントすることは何もないです」という意味でしょうか。
例によって、早速、高間氏が過剰な反応を示しています。

「的中し続ける予言」って具体的には何を言っているのか、「予言」をリストアップして、当たった予言と外れた予言を並べて検証してみたことがあるのか。外れた予言については前回の記事で少し触れましたが、そこには目を瞑るのが信者の信者たる所以ですからねえ……。
外部向けには何ら説得力を持たない文章であることは相変わらずなんですが、内部の信者はこれで納得するんだろうか?信者目線でもかなり無理がある気がするんですが。
特にこの部分。

上記記事において週刊新潮は、あたかも27年前に発刊された大川総裁の著書『新ビジネス革命』の予言に従ったため野菜工場が倒産したかのように記している。しかし実際には同書で予言された「野菜工場の登場」は見事に的中したというのが事実である。

いや、だから、嶋村氏はそれを信じて、夢に向かって邁進して野菜工場を実現させたけど、倒産しちゃったっていう話じゃないですか。
嶋村氏と親しい方などは、「予言」成就の捨て駒にされたような印象を受けるのではないでしょうか?
実際のところの現役信者の生の声を聞いてみたい所ではありますが。匿名で良いので、内部の反響を知っている方がいらっしゃいましたらメールなり掲示板なりで教えて戴けないでしょうかねえ。

反オカルト論27「なぜ荒唐無稽な話を盲信するのか?」

さて、本題に入ります。高間氏は上の記事にとらわれてしまい、こっちをスルーしてしまっているんですが、私としては、こっちの方が重要な話のように感じました。

助手 オウム真理教事件でも感じたことですが、なぜ人は、荒唐無稽な話を盲信してしまうんでしょうか?
教授 というか、むしろ人は何でも盲信するように生まれついていると考える方がわかりやすいと思うよ。
 子どもは、大人から言われたことを純粋素朴に信じるが、それは、そうしなければ生きていけないからだ。

という話。『神は妄想である』にも似たような話がありましたね。人間は、分からないことについては生まれつき信じるようにできている。そうでなければ、生き延びて来られなかったから。
大川隆法に関するところは以下の部分。てんかんを日本では「狐憑き」と呼んだり、古代ギリシャでは神々の仕業であるとして「神聖病」と呼ばれたりしたことについて、それを批判したのがヒポクラテスだと紹介し、

教授 彼は、病気は「自然」に発生するのであって、神々や呪術のような「超自然」に原因を求めてはならないと考えた。そして彼は「臨床医学」の土台を築き、「医学の父」と呼ばれるようになった。
(中略)
助手 大川隆法氏は小保方晴子氏がヒポクラテスの生まれ変わりと述べていますが、実験ノートが三年間に二冊程度の小保方氏とは全然違いますね!

云々と。
この連載では、つまり、オウムと「幸福の科学」を並べて「荒唐無稽な話(オカルト)を盲信してしまう」人々の例として挙げているわけですね。
今回は、どうして信じてしまうのかという核心部分について述べられているので、前回や前々回よりも大事だと思うんですが。反論するならこの部分にしないと意味がないでしょう。高間氏も反論書くのを早まったんじゃないのかなあと思います。連載なんだから、全部終わってから書けばよかったのに。
「信仰の本能」ということは、大川隆法も「松下幸之助が言っていた」ということを話していました。「幸福の科学」に於いては、「信仰の本能」は肯定的に説かれていました。
退会して3年以上経ってから振り返ると、寧ろその「信仰」という名の本能の赴くままに生きているのが、「幸福の科学」を含めたカルト信者の方であるのだなあという風に思っています。言い方は悪いけれど、低いレベルの欲求に支配されてしまっている人たちなんだなあと。
信者たちは「我ら光の菩薩」と毎日唱え、内心「エル・カンターレを信仰できる自分たちは、よく物を分かっていて正しい判断力もあって他の人より一段偉いのだ」などと思っているんですが、中二病とか「意識高い系」とか色々合わさって、非常に痛々しい姿になっているように思います。
可哀想な人たち。4年前までは自分もそっち側にいたからこそ、単に見下すのではなくて、私は強く同情します。助けてあげられるものなら助けてあげたいです。拒否されるのもよく分かっているんですが。

高橋昌一郎著『理性の限界』読書感想文

まだ半分ぐらいまでですが、ついでなので感想を書いておきます。「反オカルト論」と同じく対話形式で書かれており、読みやすくしたつもりなのかも知れませんが、登場人物が複数居て、何の紹介もなく唐突に「科学社会主義者」とか「方法論的虚無主義者」とかが割り込んで話し始めるので、誰が話しているのかが分かりにくく、論旨も一貫しておらず、私には却って読みにくく感じました。
「反オカルト論」もそうだけど、登場人物のキャラ立ちが全然できていなくて、感情移入しづらく、文章としては下手糞。それならわざわざ対話形式にしなくても、普通の文章で書いてくれたら良かったのに、と思った。この人が普通に書いた文章を一度読んでみたいと思う。また違う印象になるのだろうか。
内容的にも「不確定性原理」とか、まあどこかで聞いたことのある話ばかりで、取り立てて目新しいことでもなく、期待した割にはあんまり良くなかったかなという所。
知識は非常に豊富で、頭の良い方なのだろうし、この人の講義を受けたら楽しそうとも思った。
でも、本としてはいまいち。結城浩さんの『数学ガール』とかの方が楽しかったし、詳しく学べて良かったかな、という感じです。