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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「信仰が足りない」と言って信者を責めるのがカルトの特徴のようだ

時々読んでいる創価学会元二世信者の方のブログに、とても共感できる記述がありました。

余談ですが
学会員はよく幹部から「信心が足りない」と言われますが
お寺ではそんなこと一度も言われたことありません。
人によって信仰心の篤さは違うので
そんなこと言われません。

学会員は「信心が足りない」と言われると
過敏に反応して、否定しようと活動に励むけど
それが問題なんじゃないかな~。
常に競い合ってるからそうなるのでしょうけど。
個人的な意見です。

幸福の科学」でも似たようなことがありました。
「信心」という言葉こそ使いませんでしたが、「信仰心が足りない」ということはよく言われました。「(信者の)信仰心が足りないから教団が大きくならないのだ」というようなことを言っていましたね。例えばこちら。

もう一段の信仰をあなた方に求める。
信仰が信仰たるのは、この世を越えた世界をハッキリと示し、
この世を超えた価値観を明らかに示すことにある。
ある時は人々と別れ、孤独な道を歩むことかあるかもしれないが、
それは信仰の試しである。

「もう一段の信仰をあなた方に求める。」と、ハッキリと名言しています。
2007年12月22日、栃木県宇都宮市にある総本山・正心館での説法ですね。信者たちは、この説法を聴いて、ボロボロ涙を流していました。私も恥ずかしながら泣いて、「よし、頑張ろう」と誓いを新たにしたものでした。
今思えば典型的なカルト教祖の言葉ですね。自分に対する信仰心を求め、信者を世間の価値観や世間の人たちから引き離す方向にマインド・コントロールしている。
2007年あたりからこのような「信仰心」を煽る説法が盛んにされるようになりました。

統一教会の例

さて、ググってみたら、他のカルトの例がヒットしました。

献金、伝道ができないと言うような弱音(本音)や不満を吐こうものなら、「お前の信仰が足りない」「家族が不幸になってもいいのか」「地獄に落ちる」などと脅されるのが落ちです。

これで現代日本の三大カルト揃い踏みです。

オウム真理教の場合

出家させて外部の情報を遮断。閉鎖的な環境のなか、自分たちこそが正しい、疑問を呈するものはすべて間違いだと教え込んだ。疑問を持つのは帰依が足りない、レベルが低いからだと。電流が流れ苦痛を与えるヘッドギアをかぶらせ、LSDや覚醒剤を使って幻覚を見させた。「(幻覚を)体験したのは教義が正しいからだ。オウムは真理だ」と。教祖の教えは絶対。信者らを思考停止にし、教団はブレーキのない車のような状態となった。

オウムでは「帰依が足りない」という言葉が使われたようです。

カルト化教会の例

先日、ウィリアム・ウッド氏の書籍を読んだ。教会のカルト化について書かれた本だ。その中に「信仰が足りない?」という見出しがあった。
癒しが起こらない、奇跡が起こらない、問題が解決しない、その原因は「信仰が足りないからだ」と主張するグループがあるという。

カルト化教会の牧師「『病気は悪霊の仕業だ』『祈れば必ず治る』『病院に行ったり、薬を使ったりするのは神に対する裏切りだ』『(病気が治らないのは)君の不信仰だよ。もっと祈り、もっと悔い改めなさい』」
(極端に聖書の教えをねじ曲げている。)

このように、信者に信仰を要求するのがカルト化教会の典型的な例のようです。