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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

行動から見る「幸福の科学」

だいたい、どんな新興宗教でも、言っていることは立派なものです。統一協会創価学会もそうです。かの殺人集団・オウム真理教でさえ、愛や悟りを説いていました。
幸福の科学」も同様で、どうやら言っていることは立派らしいです。信者の方々は、そこに惹かれて集まっています。
ところが、新興宗教というのは、得てして言っていることとやっていることが矛盾したりします。
世間一般の人は、しっかりと行動を観察しているので、そういうのは怪しい新興宗教だと察知して、近寄らないようにします。
そこで、「幸福の科学」の教祖・信者・職員の起こした比較的最近の事件を見ていきます。

  • 教祖の運転手が連続下着強盗
  • 衆院選全選挙区に出馬し、教祖を含めて全員落選。その後も出馬は続けるが、国政選挙では一度も当選できていない
  • 家庭円満を教えの柱の一つとしていたにもかかわらず、教祖が離婚
  • 元夫人は、それまでは女神扱いされていたが、離婚した途端に悪魔呼ばわりして教団から追放
  • 教祖は離婚してすぐに再婚。新妻は二回り以上歳の離れた娘(29歳差)
  • 教団の作った大学が文科省非認可となる
  • 非認可の大学へ進学を志した二世信者が、それに反対していた祖父母を殺害

さて、「幸福の科学」現役信者の方にも訊いてみたいのですが、あなたがもし未信者だとして、こんなことをしてきた宗教に入信したくなりますか?信者の方にも客観的に見やすいように、敢て固有名詞は伏せています。どうでしょうか。ちなみに全て事実です。
仮にどんなにいいことを言っているように見えても、行動がこれでは、全く無意味です。言行不一致というのは、どんな宗教でも最も忌み嫌われる行為の一つです。
特に、反対されたからと言って祖父母を殺害してしまうというような話は、他のどんな評判の悪い新興宗教でも訊いたことがありません。(もしご存知でしたら教えて下さい。)
幸福の科学」の二世信者の数を、多めに見積もって10万人だとしましょう。10万人に一人でも、このような殺人を厭わない二世信者を生みだしてしまうような宗教が正しい宗教だとは全く思われません。
そういう意味では、もしかしたら、戦後最悪のカルト教団なのではないでしょうか。信者や職員の方には、納得のいく形で反論して戴きたいです。「幸福の科学」お得意の、「他の宗教もやっているから、我々だけ非難するのはおかしい」式の擁護は、今回ばかりは通用しないと思われます。

やはり「その木の善し悪しは、果実を見れば分かる」ということではないのか

私は以前にも書きましたが*1、今回は大川隆法自身が言及しているところも紹介します。

 「その教えが正しいか間違っているか」ということを判断する基準は、イエス自身が言った言葉そのもののなかにあると私は思います。それは、「よい木かどうかは、どのような果実を結ぶかによって判断する以外にない」ということです。それで判断すればよいのです。
 その教えを信じる人たちが、おかしくなっていくなら、その教えを説く人はアンチキリストかもしれませんし、その教えを信じることによって、人々が、正しい道に入り、正しい信仰に入り、繁栄への道に入っていくならば、その果実は、よいものだと考えることができると思います。
 これは宗教だけに限ることではなく、一般の企業でも同じですが、やはり、より多くの人に支持されなければ、よいものとして認められることはありません。
 最終的な判断基準としては、それ以外にないと私は考えています。

「最終的な判断基準としては、それ以外にない」という強い表現を使っています。
二世信者が祖父母殺害するという「実」から判断すると、「幸福の科学」という「木」は、「悪い木」としか思われませんが、それでいいんですよね。

*1:信仰にも段階があるという話 - 幸福の観測所。今読み直しても、やはり信者の態度は悪すぎる。