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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

大川隆法の説く「魅力のない人」に学ぶ

ふと「幸福の科学」の公式サイトを眺めていたら、こういうページがありました。

ここからお試し版が読めまして、幸福の科学グループ創始者兼総裁大川隆法の法話「魅力ある人となるためには」の一部が掲載されていました。
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こちらです(クリックすると大きくなります)。
北朝鮮に見る『魅力のない人』の実例」だそうです。
アンチの私から見ても、非常に優れた指摘だと思ったので、ご紹介したいと思いました。

大川隆法の説く「魅力のない人」に学ぶ

信者の皆様も、アンチの皆様もご一緒に、大宇宙の根本仏にして神々の主であるエル・カンターレこと再誕の仏陀大川隆法総裁先生の有難いお言葉に学びましょう。

「とにかく相手を徹底的に悪く言い、(中略)自分たちだけは正しいと言い続ける。」

とにかく相手を徹底的に悪く言い、相手の立場はいっこうに考慮せず、自分の立場だけを主張し続けて、自分たちだけは正しいと言い続ける。こうすると、絶対に嫌われます。

なるほど。例えば、大川隆法とその信者たちのことですね。種村氏や大川きょう子氏に対する中傷は特に酷かったです。自分たちを無視し続ける大多数の国民に対しては、「死にたくなかったら幸福実現党に」*1という名言も飛び出しました。
確かに、こうすると、絶対に嫌われますね。

「『これは嫌われると分かっているのだろうか』と思うような一方的なことを、ガーッと言い続けています。」

中国の外務省や外務大臣、報道官でも、こういうことをよくやっています。流れている番組の内容を観たら、「これは嫌われると分かっているのだろうか」と思うような一方的なことを、ガーッと言い続けています。

ふむふむ。「幸福の科学」の広報とかもよくやっていますね。古くはフライデーに対するキチガイじみた集団抗議もありましたし、最近だと、今年の夏の高間氏による週刊新潮高橋昌一郎氏批判も酷かったです*2
「これは嫌われると分かってやっているのだろうか」と思うような一方的なことを、ガーッと言い続けていますね。まあ、分かってないんでしょうねえ……。

「『反論の自由を持っている人たちには、それでは通じないのだ』ということが分からない」

自分の国の国民はそれで洗脳できるのでしょうが、外国の人はそれでは洗脳されません。自由というものを与えられている人たちは、それでは洗脳されないということです。
「反論の自由を持っている人たちには、それでは通じないのだ」ということが分からないようなので、「自分の国民たちには言うことを聞かせられるのだから、外国の人にも聞かせられる」と思っているらしく、そのように情報を発信しているのです。

「国」=「教団」、「国民」=「信者」、「外国」=「一般」と置き換えると、こうなります。

自分の教団の信者はそれで洗脳できるのでしょうが、一般の人はそれでは洗脳されません。自由というものを与えられている人たちは、それでは洗脳されないということです。
「反論の自由を持っている人たちには、それでは通じないのだ」ということが分からないようなので、「自分の信者たちには言うことを聞かせられるのだから、一般の人にも聞かせられる」と思っているらしく、そのように情報を発信しているのです。

大川隆法という人は、本当に自分のことを客観視できない人なのだなあということがよく分かります。
幸福の科学」における一般向けの情報発信というのは、主に選挙活動の時になります。
先ほど挙げた「死にたくなかったら幸福実現党に」というのもそうですし、それ以前には、大川隆法自身が出馬して落選するということもやっています(「ウチは創価学会より集票力がある 」、「最低でも90議席」などと豪語したが、結果は全員落選だった*3)。
いくら自称「神々の主」だの「再誕の仏陀」だの「世界教師」だの「世界最高のサイキック(神通力保持者)」だの言ったり、「霊界の証明」と称して数々の「霊言」をやったりしても、1%未満の「洗脳」された信者以外は誰も信じないどころか、みんなの笑い物になるだけです。

私たちが大川隆法から反面教師として学ぶべきこと

過去にも似たようなことを書いたので、そのままコピペしておきます。

他人を批判する際に気をつけるべきこと
よく、「他人に対する悪口は自分に返ってくる」ということが言われます。「立ち向かう人の心は鏡なり」という諺もあります。他者に対して嫌悪感を抱くというのは、往々にして、自己の心の内側の醜さを他者に見出しているだけだったりします。
同様に、他人に対する批判も、その人自身の「自己紹介」に過ぎなかったりします。
どうしてそうなるかと言うと、人と言うのは、結局、自分の主観を通してしか世界を見ることができないからです。だから、宗教では「心を清らかに保て」ということを言い、どのような立場にも偏することなく物事を正しく見ることを教えます。
これは、私たち「幸福の科学」を批判している側も同様で、その批判の刃が自分に対して向けられても平然としていられるかということは、重要なチェックポイントです。
批判する側は、批判される側よりも、自己に対して厳しく、常に謙虚であらねばならないと思います。

所謂「ブーメラン」現象の起きる理由ですね。
私も自分自身を振り返ると、他人のことを批判できるような人間ではないなあ、と思うことは多々あります。
精進したいと思います。