幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

愛についてと伊藤計劃『ハーモニー』の感想

現時点で愛について思うことを語ってみたいと思います。退会後四年目の中間報告です。
幸福の科学」信者で一番良かったと思うことは、愛が大事だということを教えてくれたことです。「幸福の科学」では、「幸福の四正道」と言って、「愛」、「知」、「反省」、「発展」の四つをテーマとして掲げています。そのうちで一番最初の「愛」が最も大切である、ということも言っていました。
大学生の頃、北海道正心館の「基本反省十則」という研修を受けて自分を振り返ったとき、「自分には愛が足りないな」ということを強く感じました。それ以来、「愛深い人間になりたい」ということを人生の一番大きな目標として生きてきました。
イエス・キリスト霊指導の『愛深き人間になるための祈り』(一回三万円目安)が開示されたときは、まさに自分のための祈願だと思って真っ先に受けましたし、短い期間に二、三回繰り返して受けました。
退会しても、その気持ちは変わりませんでした。「幸福の科学」の愛の教えの間違っている部分をデトックスしたいと考えて、退会してから真っ先に読んだ本の一つは、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本でした。
その後4年経ち、無神論者(自称)になった今でも、その気持ちは変わりません。やはり、愛ということが一番大事だし、自分自身を振り返ってみても、頭でっかちな割に行動面ではまだまだ全然未熟で、もっともっと愛深い人間になりたいと願っています。

愛とは自分と他人を分けないこと

結論から言うと、これに尽きます。「幸福の科学」信者の方なら、根本経典の『正心法語』の中の「自他はこれ別個にあらず一体なり」という一節がすぐに思い当たると思います。この部分に関しては、私は今でも大賛成です。
他人を自分のこととして考えること。もし自分が相手の立場だったらと考えること。

  • 「己の欲する所を人に施せ」(聖書)
  • 「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」(論語

(表現は正反対ですが)洋の東西を問わず聖人の教えとして伝えられてきた真理。
「相手の立場になる」という、この単純なことさえみんなができるようになれば、みんな幸せだし、この世から悲しいニュースは消えてなくなるだろう、とつくづく思うのです。
「人類皆兄弟!」という言葉をしみじみと味わっています。

伊藤計劃著『ハーモニー』の感想

余談になりますが、関連して思い出したのはこれです。
映画も上映されて、そっちはまだ観られていないのですが、小説版は以前に読みました。その時に別の場所で書いた感想です。

伊藤計劃『ハーモニー』を読了。
とても良かった。特にラストが秀逸。
昨年末に読んだ山本英夫の漫画『ホムンクルス』を読了した後と似たような感想を持った。
以下ネタバレもあるので注意で。
ホムンクルス』の場合は、「人類が全部自分であると思えれば、そこにユートピアができる」というようなことだと思う。
『ハーモニー』の場合もそれに似て、「人類全てから自我とか自意識を消して完全に社会の一部となることができればユートピアができる」ということだと思った。
本文から引用すると、
「真の意味でに自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。私はシステムの一部であり、あなたもまたシステムの一部である。もはや、そのことに誰も苦痛を感じてはいない。苦痛を受け取る『私』が存在しないからだ。わたし、の代わりに存在するのは一個の全体、いわゆる『社会』だ」
云々と。
仏教者が修行して得ようとしている境地もこのようなものだろうし、人類の罪を背負って十字架にかかったキリストもこのような心境であっただろうし、孔子が「七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず」と言われた境地もそうであろうし、老子が「無為にして為さざる無し」と言われたのもそうであろうと思う。
思い出すのは、数年前、人生について色々と悩んでいて、西田幾多郎の著作を読んでいた時にハッとした言葉があった。正確には覚えていないのだけど、それは「私は社会という有機体の一細胞である」というようなことだった。
自分というものは社会の一部である、という風に考えると、非常に楽になった。肩肘を張らずに生きていけるようになったし、失敗とかもそれほど怖くはなくなった。自分は決して一人きりではないし、どう転んでも居場所のある世界なのだ、という風に考えられるようになった。
人が苦しむのは自我とか自意識があるからであり、もっと大きな目で社会全体を見渡す視点を持てるようになると、確かに自殺などする人は居なくなると思う。
ああ、あと、中島敦が「名人伝」で描いた弓の達人の究極の姿もそのようなものだった。「意識を消す」というのが究極の理想であるということ。夭逝の天才の共通項だろうか。
しかし、人類の意識が辿り着くのは、個性や時代や言語に依らず、常に同じポイントらしい。その辺も面白い。
よくできた小説だった。万人受けするような内容ではないとも思うが、こちらもアニメ映画化が決まっているそうで、こういうものが話題になり多くの人の目に触れるのは良いことだと思う。

上の感想に補足するならば、

  • 「学を為せば日に益し、道を為せば日に損ず。之を損じてまた損じ、以て無為に至る。無為にして為さざる無し」(老子

この言葉で示される無為自然の境地と『ハーモニー』で描かれた世界とは、同じなのではないかと。
それはつまり、究極の自他一体の世界。究極の愛の世界。
私は『ハーモニー』をユートピアもの(ハッピーエンド)として肯定的に読みましたが、世間ではディストピアものとして否定的に見られているようですね。もし、私以外にどなたか、私と似たような感想を持った方など見かけられましたら、教えて下さい。

過去の関連記事

2013年3月の記事。罪の意識と愛とは密接に関係していると思う。『下町ロケット』の人工弁を開発していた社長さんの例などを参照。

2013年5月の記事。

2013年10月の記事。タイトルからは分かりにくいですが、「批判されるべきは唯物論無神論ではなく個人主義である」という話です。
スピリチュアリズム無神論唯物論)という対立軸は、実は重要ではありません。上で述べたように、相手の立場に立って考えることができるかどうかというのは、信仰の有無には関係ありません。
ローマ法王も、「無神論者でも救われる」*1ということを話しています。
幸福の科学」信者(「幸福の科学」元信者も含む)の、唯物論無神論に対する拒絶感は、現在の私には正常な感覚とは思われません。